岡山地方裁判所 昭和47年(ワ)494号 判決 1978年4月27日
原告
甲野株式会社
右代表者
甲野太郎
原告
甲野太郎
右両名訴訟代理人
松岡一章
同
水川武司
被告
株式会社乙信用交換所
右代表者
乙山二郎
右訴訟代理人
尾崎重毅
主文
一 被告は、原告甲野株式会社に対し金二〇万円、原告甲野太郎に対し金二〇万円及び右各金員に対する昭和四七年一〇月七日から各支払ずみまでいずれも年五分の割合による金員を支払え。
二 原告らの被告に対するその余の請求を棄却する。
三 訴訟費用はこれを五分しその一を被告の負担としその余を原告らの連帯負担とする。
四 この判決は主文第一項に限り仮に執行することができる。
事実《省略》
理由
一原告会社が衣料品の総合卸商等を目的とする株式会社で、原告甲野はその代表取締役であること、被告会社が信用調査を行うことなどを目的とする株式会社であること、訴外丙山三郎、丁山四郎がいずれも被告会社の被用者で、右丙山は被告会社京都支社信用調査嘱託員、右丁山は被告会社名古屋支社長の職にあつたこと、そして右丙山が昭和四七年二月一五日原告会社の信用調査を行い調査報告書を作成したこと、その後右調査報告書と同一の内容を有する本件参考資料及び本件報告書が作成されいずれも被告会社名古屋支社から原告会社の取引先である訴外糸重株式会社に交付されたこと、右本件参考資料及び本件報告書に原告ら指摘の各記載がなされていること、以上の事実については当事者間に争いがない。
二本件参考資料及び本件報告書の記載内容について、原告らは、次の各項目につき真実に反する記載がなされていると主張し、被告はこれを争うので以下順次判断する。
(一) 原告甲野に関するものとして、
(1) 「最終学校」として、<証拠>によると、原告甲野は昭和一八年一二月、岡山県立工業学校応用化学科を卒業していることが認められ、本件参考資料及び本件報告書(以下併せて本件報告書等という)の記載である「高小卒」とする証拠はない。
(2) 「経歴」として、<証拠>によると、原告甲野は昭和一九年一月、訴外日本高周波重工業株式会社に入社し、直ちに朝鮮咸境北道にあつた同社工場研究課に赴任し、同二〇年一一月岡山に戻り、衣料行商などをした後同二二年八月衣料品小売店を開業し、その後繊維製品の卸売を始め、同二七年四月原告会社を設立し今日に至つているものであることが認められ、報告書等に記載の「戦前……中京方面にて在日朝鮮人と同動、その間定職もなく……」と認めるべき証拠がない。
(3) 「個人資産」として報告書等に記載の「不動産、動産を分散し……」と認めるべき証拠がない。
(4) 「経営能力と性格」として「大阪=松山権伊、名古屋=金山裕一等韓国系事業家とは親友で金融も三億平均を動かすと言われる。兵庫県舞子の不動産、神戸鈴蘭台の土地買占めは有名である。だがその反面知己、交友関係は複雑であり、資金性質の素性が判らず一応の警戒は肝要である」旨の報告書等の記載については、<証拠>によると、被告会社京都支社調査部嘱託訴外丙山三郎が「同訴外人の友人を介して林春教、朴正順、柳長慶その他数氏の韓国籍の金融業者及びブローカーより情報を得たもので彼等と甲野太郎氏は終戦後のドサクサ時代以来、何等かの縁で連り、金銭的にも利害関係があつたとされる。特に甲野太郎氏の金融事実については断定的な明確な情報を得たので私も確信をもつて記述したものである」というのであるが、<証拠>に照らせば、右丙山の伝聞のみをもつて直ちに右記載内容を真実と認めるには足りないものといわざるをえないし、他にこれを認めるに足りる証拠がない。
(二) 原告会社に関するものとして、
(1) 「所見」として「決算書に基く財務分析から粉飾修正の懸念もあり代表者兼業部門及びサイドビジネスに依る金融、不動産業に対する資金性質不安から当面の推移に支障はないが先行には一応の注意が肝要とされよう」と報告書等に記載し論評を加えている点については、原告らが主張する原告会社の仕入先、販売先、銀行信用がいずれも良好ないし普通以上であることは、被告会社においても争わないところであり、<証拠>によると、原告会社は、毎会計年度に会計準則に則つて決算を行い、ことに不動産の減価償却は厳重に行い、設立以来逐年業績を重ね、業容基盤共に確立され、所有不動産も増加し、岡山市内に3.3平方メートル七〇万円と評価される宅地を合計四〇二六平方メートル余所有し、その一部土地上の建物を原告甲野が設立した訴外春野観光株式会社(トルコ風呂経営)、訴外甲野観光株式会社(キヤバレー・クラブ経営)に賃貸していることが認められる。そして、<証拠>によると、原告甲野が実質的に一人実権を握る関係で、原告会社と右各訴外会社間で相互に、たとえば賃貸料の支払を猶予してこれを原告会社において貸付金勘定にするなどの操作をし、会計面であたかも粉飾決算を疑わせるような推移があつたことが認められ、信用調査を専門とする被告会社の審査部において原告会社に粉飾修正の懸念があると記載することには具体的な資料分析の裏付けはあつたというべきである。しかしながら、「代表者兼業部門、及びサイドビジネスに依る金融、不動産業に対する資金性質不安から……先行きには一応の注意が肝要とされよう」の論評については、本件全証拠によるも、右「兼業部門」と目される前示各訴外会社につき信用調査を行つた結果に基づくものとは認められないし、また「サイドビジネスに依る金融、不動産業」を原告甲野が営んでいると認めるに足りる証拠がなく、結局右論評は事実に基づく公正な論評とはいいがたいものといわざるをえない。
(2) その「総合採点」として、報告書等には「部分的に注意を要す」に該当する「五九点」の評価が記載され、原告会社は、その資産信用状況からすれば、少なくとも被告会社の基準でいう「差当り支障なし」に該当する一〇〇点満点の六五点以上と評価さるべきであると主張するところ、<証拠>によると、原告会社に対し昭和四七年二月ころから同四八年六月ころまでの間になされた訴外株式会社信用交換所岡山支局、同日本企業調査株式会社、同株式会社乙信用交換所本社岡山局の各信用調査報告書はいずれも原告会社に対し「差当り支障なし」との結論を下し、それぞれ「七二点、六〇点、六五点」の採点をしていること、を認めることができ、そうであれば、結局、被告会社の報告書等は、原告会社について、右三通の報告書より、一段階下位にある結論採点を行い、「差当り支障なし」とすべきであるところを「部分的に注意を要す」としたものであると推認するのが相当である。
三以上認定のとおり、事実に反する虚偽の記載がある本件参考資料及び本件報告書によると、これを読む者をして、原告甲野について、学歴は高小卒で、戦前中京方面にて在日朝鮮人と行動を共にし、その間定職もなく、戦後大阪、名古屋の韓国人仲間と一緒に金融業をやり三億円ぐらいを動かすと言われ、兵庫県舞子や神戸鈴蘭台の土地買占めで有名となり、交友関係が複雑で、資金性質の素性が判らず一応の警戒は肝要である人物と印象づけられ、また原告会社についても、右のような人物である原告甲野が代表する会社で、代表者原告甲野のサイドビジネスである高利貸、不動産業に対する資金性質不安から先行きには一応の注意が肝要とされなければならない会社であつて、「差当り支障なし」より一段階下位の「部分的に注意を要す」ものと印象づけるものといわなければならない。そうだとすると、右の如き本件参考資料及び本件報告書を配布されたことにより、原告甲野は、自己の名誉感情を害され、信用を傷つけられ、また原告会社は、その名誉、信用を毀損されたものといわざるをえない。<証拠>によると、現に原告会社は、昭和四七年四月ころ、長年の取引先である訴外糸重株式会社から、原告会社の注文を漸次受けないようにする扱いをうけ、代表者たる原告甲野が不審に思つて右会社を訪問し取引の継続を交渉したところ、同会社取締役から本件参考資料の存在を示され、その写を得て真実を訴え、取引の中止を免れたとの事実を認めることができる。なお、原告らは、訴外ホワイトライン株式会社からも同四七年六月に取引を停止する旨の通告を受けたと主張するが、右取引停止が本件報告書の存在によるものとする<証拠>は、<証拠>に照らし信用することができないし、他にこれを認めるべき証拠がない。
四そこで、本件報告書等のもととなつた調査報告書を作成した被告会社京都支社信用調査嘱託員丙山三郎、本件報告書等を訴外糸重株式会社に交付した被告会社名古屋支社長丁山四郎について、原告ら主張の故意又は過失があつたか否かにつき判断する。
<証拠>によれば以下の事実を認めることができ、右認定を覆すだけの証拠はない。
1 被告会社は東京に本社を置き、大阪、京都、名古屋に各支社を、又札幌、桐生、浜松に各支局を設けて営業をしており、信用調査業務については主としてその調査依頼会員となつたものからの依頼によりこれに応ずることとしている。
なお右調査報告をなすについては、予め依頼者より相手方に直接面会してよいか、依頼者の名を明示してよいか、更には最近の既調査報告書があればその写をもつて調査にかえてよいかを指定させたうえ、右指定の趣旨に従つて調査報告をすることとしている。
2 昭和四七年二月、被告会社京都支社は被告会社の信用調査会員である訴外某社から原告会社の信用調査を依頼され、右調査は前記丙山の担当するところとなつた。右丙山は予め明日信用調査のため訪問する旨電話で通知したうえ、前記のとおり同月一五日、原告会社に赴き、身分、要件を明らかにしたうえ調査協力方を依頼し、関係者との面談を求めたが、原告会社代表者たる原告甲野は不在で、結局原告会社総務部長訴外外崎一馬及び経理部員と面談したものの、満足する回答を得られないままに終つた。
そこで右丙山は昭和四六年一〇月ころなされたという原告会社についての調査報告書(但し右調査報告書についてはその作成者、作成経緯、内容等につき明確な主張も立証もない。)を基にして、これに林春教、朴正順、柳長慶ら数人の金融業者及びブローカーなどから得た情報等を加味して調査報告書を作成し、被告会社審査部において内容を吟味修正した。
なお右丙山作成にかかる調査報告書はその依頼者に交付されたと窺われる。
3 次いで同四七年三月一五日、被告会社名古屋支社は被告会社の調査会員である(原告会社の取引先でもある)訴外糸重株式会社から原告会社の信用調査を依頼され、更に同月下旬には同じく訴外万兵株式会社、同ヒユツテ中部寝具株式会社からも同様の依頼を受けた。右糸重株式会社はその依頼に当り、三か月内の既調査資料があればそれで可との条項を付していたため、右名古屋支社としてはとりあえず前記丙山調査にかかる調査報告書の写を参考資料(本件参考資料)として右糸重株式会社に交付し、次いで右と同内容を有する被告会社名古屋支社名義の正規の調査報告書(本件調査報告書)を作成し、これを右糸重株式会社に交付した。
4 なお被告会社は調査依頼者に対し報告をなすに当つてはその内容を他に漏洩することのないよう注意するとともに、依頼者からの漏洩については責を負わない旨申し送るとの処置をとつている。
そして本件参考資料及び本件報告書についても、被告会社としては依頼者たる前記糸重株式会社(ないし他の二社)に交付したほかは、他に広く公布したことはない。
5 本件報告書(本件参考資料についても同様)は、その記載内容及び体裁において乙第一一号証と同一で、「結論」「総括概況」「設備」「業績」「取引状況」「成長性」「資金事情」「資産概況」「経営陣と資本」「代表者と労使関係」の計一〇個の大項目及び添付の「財務諸比率」「不動産明細表」「比較貸借対照表」「比較損益計算書及剰余金処分計算書」の各一覧表等合計内容部分一九丁(いずれも片面のみ使用)からなり、その外形からみて客観的に記述されたと受けとられる各種数学の他、随所に記述者の主観的評価とみられる記述及び評点の記載がある。
以上の事実関係によると、丙山は本件参考資料の原本たる調査報告書を作成する際(イ)昭和四六年一〇月ころの調査報告書、(ロ)原告会社総務部長外崎一馬及び経理部員との面接、(ハ)林春教、朴正順、柳長慶ら数人の金融業者及びブローカーからの情報等を資料としたというのである。しかし、前示のとおり(イ)の調査報告書についてはその作成者や作成経緯について明らかでないから信用性に疑問がなかつたとはいえない。また、<証拠>によると、丙山はこれを右外崎一馬に読み聞けたというが、右は同人の証言に照らしにわかに信用しがたいし、(ロ)についてもあらかじめ原告甲野と打合せて直接面談する挙に出ることもなく、前日電話で訪問する旨を通知したにとどまるのに、外崎総務部長及び経理部員が面接に際し協力的でなかつたと非難を浴びせ、結局(ハ)のような信用性に欠ける伝聞供述のみを材料に調査報告書を作成したというのであるから、いかに被告会社審査部が吟味修正を施したとしてもそもそも基礎資料の収集において、信用調査を専門とする者として当然にはらうべき注意義務すなわち信用調査に携わるにあたつては被調査者の名誉信用を傷けることのないよう事実を十分調査し、真偽を確認すべき注意義務を怠つた過失があるといわざるをえない。さらに、被告会社名古屋支社長丁山四郎は、糸重株式会社に対し、本件参考資料を交付したあと、なんら再度の調査を行うことなく、本件参考資料と全く同内容のもので、単に京都支社名義を名古屋支社名義に変えたにすぎない調査報告書を作成交付したというのであるから、調査義務を怠つた過失を免れることができない。
五以上の争いのない事実及び認定の事実によると、本件報告書等のもととなつた調査報告書を作成した訴外丙山三郎及び本件報告書等を訴外糸重株式会社に交付した訴外丁山四郎の使用者たる被告会社は、その選任監督に注意を怠らなかつたことの主張立証がない以上、原告らに生じた損害を賠償する責任があるといわなければならない。
六そこで、被告会社の主張について判断する。
1 本件参考資料、報告書の如き信用調査報告書は、一般に特定の調査依頼者のみに対する回答であつて、しかも被告会社が常に調査依頼者に対し報告書の内容を他に漏洩しないよう厳重な秘匿義務を課し、万一依頼者から他に漏れた場合には被告会社はその責任を負わない旨の約束をするなど、秘密保持については万全を期していることは、原告らにおいて明らかに争わないところである。しかし、そうだからといつて、内容虚偽の調査報告書が調査依頼者に交付され、調査依頼者から被調査者が信用失墜による不利益処分を受け、または受ける虞が生じたとしても、名誉ないし信用毀損の成立に必要な公然性を欠くということはできない。けだし、企業信用調査は、全国広範な地域にわたり多数の企業体間で活な商取引の行われる現代経済社会にあつては、取引先の企業の情報交換という必要欠くべからざる機能をになうものであつて、新聞、雑誌、テレビなどマスコミと同様の公益的性格を帯びるものであり、被調査者に関する最新かつ確実な事実を、需要者側に立つ不特定かつ多数の者に有償で領布するものである。前示認定の事実によつても、被告会社は、糸重株式会社のみならず、万兵株式会社及びヒユツテ中部寝具株式会社からも原告会社の信用調査の依頼を受けているのであつて、本件報告書と同一のものが領布されているものと窺われる以上、とうてい公然性がないとはいえないことが明らかである。
2 また、被告会社は、本件参考資料、報告書に真実と異る記載があるとしても、もともと信用調査の依頼者は、調査結果の報告が全て真実に合致しているものと期待しているわけではないこと、真偽の確認できない風評についても信用調査の性質上当然記載が許されること、虚偽があつても故意又は重大な過失がない限り被調査者に対する名誉毀損とはならないことを主張する。しかしながら、企業信用調査を依頼する者とこれを受託する者との間の債権債務関係の存在が、被調査者に対し、何らかの調査に応ずべき法律関係ないし不利益を受忍すべき法律関係を生ずるものとは解することができないのであつて、被調査者の名誉信用等の人格権を侵すことができないこと勿論であり、真実であることの証明されないいわゆる風評のもとに名誉信用にかかわる事柄を暴露することは、企業信用調査の名を藉りたとしても、名誉毀損であることにかわりはないと解すべきである。いわんや調査の内容が虚偽であるならば故意又は重大な過失がある場合は勿論、通常の過失があるにすぎない場合であつても、過失による名誉毀損の責任を免れることはできない。
3 さらに、本件報告書等の作成は、経済取引社会における取引の安全と正常な活動に役立つものであつて、その意味で公共の利害に関する事実について専ら公益を図る目的でなされたものであり、被告会社においてもその記載内容はいずれも真実であると信ずるに付き相当の理由があつたというべきであるから、被告会社に損害賠償の責任はないと主張する。しかし、前示認定の事実によると、被告会社において、本件報告書等を作成する過程には、被用者たる調査担当者らが、調査を尽す義務を怠る過失があつたことを否めないのである。けだし、<証拠>によれば、既調と称する従前の調査報告書が存在しているとき、その内容について慎重に真実性を確認することなく、最新の決算報告書による数字を補充し改訂するにとどまるような調査を繰り返し、被調査者側の非協力的ないし非迎合的態度に対し報復的な内容の調査報告書を作成するかのような調査担当者の心情が窺われるのであつて、とうてい被告会社に免責事由があるとは認めることができない。
七そうだとすると、被告会社は、原告らの受けた損害を賠償すべき義務があり、右損害は、前示事実関係をかれこれ斟酌し、原告会社について、その名誉、信用を毀損された無形の損害を金銭に換算し金二〇万円、また原告甲野については自己の名誉感情を害され、信用を傷つけられた精神的苦痛に対する慰藉料として金二〇万円をもつてそれぞれ相当とする。《以下、省略》
(早瀬正剛 平田勝美 小島正夫)